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夢と成功と理想

濃く、深く、潜在意識にある自分の成功を手に入れている彼らは、沢山の浅く、広い、本当はどーでもいいもんを大量に捨てて来たんだ。そのどーでもいいもんは、この濁ってしまった世の中の常識で、殆どの人が流される「価値」。それでも流されずに、私はこれが欲しいんじゃ!と、ただただ自分を信じて突き進んだ人だけが手にとれる成功。
カウンセリング中、成功ってなんですか?って聞かれることがよくある。そして私も沢山の社長に訪ねてきた。昔の私には答えられなかったから。でも今なら「成功」が何であるか、私は、はっきりと分かる。人の成功とはなにか。きっと、皆おとなになるにつれて気付くんだ。

私の失敗体験談

子供の頃から、失敗をしたことが無かった私は、大人になって失敗を極端に恐れるようになった。だから、自ら挑戦しなくていい現状を生み出してきた。舞台でセンターになった時も、ミュージカルで準主役に抜擢した時も、彼氏ができた時も、失敗することが怖くて、ご飯が食べられなくなった。結果、私の中にいる神様は私に拒食症という病気を与えて、挑戦しなくていい現実を生み出した。私の願いは、届いていたんだ。
人の笑顔が見たい。反面、人のがっかりする顔を見る事が嫌いだった。人の期待に応えられない自分が嫌だった。ガッカリさせたくなかった。だから、死ぬほど頑張ってきた。が、頑張る事に疲れた。もう、私に期待せんといて!!!!!
期待されることへの恐怖感が募り、何にもしたくなくなった。何をしても、頑張らないといけない自分。頑張るから、余計に人が期待してくる。自分で期待される状況を生み出しておいて、逃げ出す。右手で作ったお城を、左手で壊してきた。いつもいつも。
どうせ壊してしまうなら、もう何も作りたくない。死にたい。終わりにして。私の人生。

本当に、あの頃は死にたかった。

夢と成功

中学校の頃、予習復習を終えた時だった。深夜0時をまわっていた。どういう訳かその時に変なことを書いたのを鮮明に覚えている。
「私には夢がありません。でも、だからこそワクワクするんです。なぜなら、夢を探す事が夢なんだ!!」
これ、おそらく潜在意識から出た言葉だったんだろうと思う。物心ついた頃からずっと、私は両親の背中を追って「中学校の数学の先生」になるのが当たり前だと思っていた。私の夢は、「親の夢」。だった。本当の私の夢は、その時、無かったんだ。

でも・・・ワクワクしていたんだって?

そう、今の時代、「夢がない」ってだけで自分の事をダメ人間だとか、つまらないヤツだとか、思い込んでしまった人たちが増えた。夢を持って生きることが素晴らしくて、そうじゃないと「成功」という言葉が手に入らないとでも思っているように見える。まあ、そうすれば人はとりあえず何かしら「頑張って」「努力」して国の経済の為に人生を使ってくれるわけだから、こういう教育方針になったのも致し方ない。

好きなことをしなきゃいけないの?

16歳の時、初めて行ったカウンセリングで「好きな事をしなさい。」と言われた。いきなりそんなこと言われても・・・私に分かるはずがない。私にとっての喜びは、親を喜ばす事だったのだから。
「もう親の為に生きるんじゃなくて、自分の為に生きなさい。」私は自分のやりたい事を見つけるために、東京へ出ることにした。東京なら、何かしら見つかる気がした。(※東京に出る理由はそれだけではありませんでしたが、ここでは省略します。)
そして出逢ったのが、ダンスだった。それから毎日、朝から晩まで踊っていた。ダンスほど、私が熱くなれるものはないって思ったし、自分にとって、ダンスは恋人だった。これもまた、「今、この瞬間」を感じられる芸術だったからだ。
しかし、ダンサーで食べて行けるのは一握りであると悟っていた。ましてや、この病気を抱えて叶うような、生ぬるいものじゃない。私は思い悩み、ある日、品川駅で出勤するサラリーマンを眺めていた。黒いビジネスバックを持ってせかせかと険しい顔でエスカレーターで上る人、降りる人。。。

「みんな、何の為に仕事してるんだろう。。。」

そんな事を考えて2時間くらい、ぼーっと突っ立っていた。それで思ったのは、自分の好きな事を仕事にするのも素晴らしいけど、自分の出来る事を仕事にするのも素晴らしいんじゃないかって。「好き」は、「好き」のままでいいんじゃないかって事だった。
私は音楽が好きだし、音楽の中で踊る事が好きだし、心が熱くなるのは変わらない。けど、だからって私はダンスをしないといけないの?踊って、私はダンスが好きだと、証明しないと、いけないの?
今まで色々なセミナーに出て、「好きならダンスしなよ!」そう言われてきたけど、これはハマりやすい落とし穴だった。本当に「好き」とは、出来なくても、叶わなくても、それでも「好き」だと、胸を張って言えること。なんじゃないかと思う。

だからね。
好きなことは、「好き」でいい。
たとえ、今は出来なくても、今は叶わなかったとしても。

もしも、出来ないから「好き」じゃない。叶わないから「好き」をやめる。それであれば、それ自体を「好き」じゃなくて、その「好き」にある「見返り」が本当に君が望んでいるものなのではなかろうか。

ところで私には幼馴染がいる

彼女は私と正反対の性格だった。中学の部活動も一緒で、私がキャプテン、彼女が副キャプテンをしていたんだが、動的な私に対し、静的な彼女。私は「責め」で攻撃するポジションだったけど、彼女は真逆の「受け」で相手がミスするまで粘るポジションだった。小学校から一緒にいたから、お互いの性格はよくわかってた。そんな彼女に成人式の時だったかな、会いに行ってこんな会話をしたのを覚えている。
幼馴染(K)「そろそろ、ちか落ち着いたら?波瀾万丈すぎるよ。」
私「落ち着いたら?って、うちらまだ若いよ!Kちゃんは、東京こんの?こんな田舎で何か夢あるん?」
K「いやぁ~、私はいいわ。ここで。東京とか疲れそうやし、私はここで幸せやし。」
菩薩でも降臨したのかと思った。彼女が、凄く謙虚で素敵に思えたけど・・・。
「私はこんなところで人生終わらせるなんて、まっぴらごめんだ!」そう思っていた。「こんな田舎でいては私の才能が発揮されない!」自分の才能が何であるか。知らなかったくせに、そんな事を思っていた。笑

実は私、恋愛メンタル雑魚なんです

ちょっと、今まで恥ずかしいから伏せてたんだけど、この章に必要なフレーズだから、もう、いっかっ(-_-;)て思って書きます。
私は、自分に自信がなくて、好きな人が出来ると、違う人と付き合う癖があった。(分かってくれる人いるかしら?) 小学校の頃からなんだけど、本命の人には絶対その素振りを見せなくって、カモフラージュとして違う男性を好きだと見せかけていた。「好きな人誰?」なんて友達から聞かれても、全く知らない人を指さしたりね・・・。自分でも、指さした後に「・・・誰?」って思って調べてましたもん(苦笑)今思うと、カモフラージュ的男性に申し訳なかった。
大人になってからは、自分の事を好きになってくれる人と付き合うのが一番安心できたので、そうしてたのですが、これが困った事に、どうしようもなく、自分勝手で、わがままで、すぐ嘘つくし、表面ばっかり繕う、中身のない「愛してる」を連呼する薄っぺらい男を愛してしまう、恋愛雑魚でした。
相手がダメ男であればあるほど、私が見捨ててはいけない気がしてくる。(母性本能があり過ぎるタイプ)「こんだけ人の気持ち考えられない人、私以外の女性が好きになってあげられるんだろうか・・・私が愛してあげないと、一人ぼっちになっちゃうんじゃないだろうか・・・」そんな風に思って離れられなかった。
友達のカウンセラーさんに、それ言ったら、「知佳ちゃんがいなくても大丈夫だから!!その人も30年生きて来てるんだから!死なないから!」って言われたよね。笑
結局、それに振り回されて泣くのはいつも私。向こうは私を傷つけたことなんて何とも思っちゃいないわけ。って、まー私が勝手に「いつか変わってくれるんじゃないか」ってあまーい期待をして傷ついたんだけどね!

しかし当時の私は「理想のカウンセラー」を追い求めていた

だから、恋愛メンタル雑魚な自分を「カウンセラーなのに・・・ダメカウンセラー」そう頭が罵声を浴びせてきた。その声に苦しんで、私はカウンセラーなんてもうやめたかった。そして、2年前。私は一度カウンセラーをやめたんだ。
でもね、自分が助けた人に助けられた。
「カウンセラーって、そんなに偉いの?カウンセラーだって人間でしょ?人間なんだから、失敗するよ!」
はっとしたよね。私、また完璧な理想を追い求めて苦しんでいたんだって。仕事も、恋愛も、悩むことない、バリバリやってるかっこいいカウンセラーを。

完璧じゃなくていい

人は、神様じゃないから、過ちを犯す。一時の感情に左右される。一時の感情に左右されるなと言うけど、でも、一秒一秒の感情ですら、私自身なんだ。快楽を求めて酔いしれる。それはむしろ、「今、この瞬間を」生きているということだ。
それが出来にくくなった現代だからこそ、心の病気が多発している。遊び盛りの子供の頃から「努力をさせ」て、「夢を掴め!」そんな事を聞かされて生きてきたから。そしてそれが世間一般的に見て「成功」だと教えられたのかもしれない。 確かに努力は素晴らしいけどね。
だから私は、これで良い。そう思った。(もちろん、成長してゆくよ)

失敗すら楽む

何故なら、失敗するっていう事は、まだまだ私には伸びしろがあるということ。 つまり、私の未来に成功が在る。ワクワクするじゃん!
それに失敗が出来るって言うのは、挑戦した人の特権なんだ♪最初から100パーセント成功出来るって分かっている事に挑戦することは挑戦とは言わない。

全ての人が成功者で在れる世界。100人いたら100人違う成功のカタチ

さてさて、ここでやっと私の「成功」についての見解を書くとする。(長かった・・・)
「成功の反対は、失敗じゃなくて、挑戦をしない事だと思う」といったよく聞くフレーズがあるが、これをどれくらい深く理解した人間がいるのだろうか。
それはつまり、「未来に成功を見て」、挑戦し続けることこそが成功だということではないかと考えている。
そして、たとえ今、挑戦する事が何もなかったとしても、それはそれで良いということだ。人間は、生きてりゃ何かしら壁にぶつかる。その時に、えいって挑戦すればい良いんだから。

人の人生を生きない事

成功とは、自分の人生を生きること。
だから、成功の法則なんてものは存在しないし、下手すれば、そんなものを信じて真似したら自分の人生の成功者から大きく外れる。ルールや法則性があったとしても、それは答えではない。いつも答えは自分の中にある。つまりそれは「好き」か「嫌い」かということ。
たとえ他人に嫌われようが、見下されようが、損しようが、自分の人生(行動・思考)に責任を持ち、自己正当化せず、楽しんで生き抜く勇気をもってほしい。
誰かを喜ばすために無理やり夢を作る必要もないし、見栄や体裁で何か大きな成功を残さなければいけないわけでもない。
私の幼馴染のように、周りの波がどうであれ、自分の波を大切にし、その中で起こる、自分の壁を、ひとつひとつ乗り越えて成長していく事なのではないか。

私は今、そう感じている。

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二極一対・光と影・表裏一体

正義が悪を生み出した

昨日の記事を読んで、Facebookで以下のようなコメントをいただきました。

一つの出来事をどの向きから見るによって善悪らしきものが決められているような気がする今日です。パリの出来事、色んな面から見てみると悪役と判断してしまう相手の正義について考えてしまいました。

おそらく、私が最後に書いた、「悪役もいたほうがいい」って言葉に反応してくださったのだと思います。

こんにちは。岸田知佳です。今日の記事は、ややこしいので、こんがらがるかもしれません。
実は、今年に入って温めていた私の考えなのですが、またいつかブログで書こうとは思っていました。
ちょうど、そろそろ公開できそう?な感じなので書きます。
私の考えですが、手っ取り早く書くと、
悪を滅ぼさなきゃいけない理由がないってこと。
そして、私が「悪役」と呼ぶのは、「私が嫌いな人」の事です。
つまり、悪役の反対の「正義」も「答」ではないということです。
私たち人間は、殆どの人が
「正しい」ことが好きで、
「正しく」生きたくて、
「間違い」を恐れ、
「答」を知りたがる。
が、しかし、
そもそも、「答」なんてものは、
「死がある事」以外はあやふやなパーセンテージで成り立っています。
問題は、
「正義」を「答」と勘違いした人は、
「悪」を「不正解」だと勘違いをしている。

こと。
だからこそ、自らの「正義」を脅かす、「悪」を恐れて相手を消そうとする。
「悪」は、悪なりの正義で平和に生きてるんだから、ほっときゃいいのに。です。
私は、正義感こそ、戦争の始まりじゃないかって思うわけです。
蓋をあければ、これを両者がやってるんだからね。そうでしょ?

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かの有名な「桃太郎」ですが、芥川龍之介の描いた「桃太郎」を読んだことあるでしょうか。
正義だと語り継がれている桃太郎を、極悪非道な何ともブラックに描いた名作です。
内容は、多分グーグル先生に聞いてみたら「あらすじ」だけでも読めると思います。

一部抜粋すると・・・
犬はただ一噛みに鬼の若者を噛み殺した。雉も鋭い嘴に鬼の子供を突き殺した。猿も―猿は我々人間と親類同志の間がらだけに、鬼の娘を絞殺す前に、必ず凌辱を恣(ほしいまま)にした。”
鬼たちはおそるおそる、自分たちが人間に何か悪さをしたのかと尋ねる。すると桃太郎は、日本一の桃太郎が家来を召し抱えたため、何より鬼を征伐したいがために来たのだと答える。鬼たちは自分たちが征伐される理由がさっぱりわからないまま皆殺しにされてしまうのである。

この本を読んだ感想。
私の解釈で書きますが・・・
人間のエゴイズムが「正義」を作ったのだと思いました。

勝てば「正義」となり、負ければ「悪」とされる不条理な世。
勝つことを「正義」と思い込み、負けることは「悪」なのだと思い込まされた。
勝利に依存した人間たちは、結果だけにコミットし、目に見えた評価、点数、に踊らされた。
そして
自分が「正義」になるために、
「悪」をわざわざ生み出した
のだ。
つまり、悪を滅ぼしたところで、
正義だけの世になるのは一時で、
「正義」ってやつは、再び・・・
「正義」から「悪」を生み出すだろう。
と私は考えています。
以前、こんな事を言う男性と出逢いました。

「僕は、ある国へボランティアをしに行っているんだが、僕の行為は、無ければ無いなりに平和に暮らしている彼らの生活を壊しているんじゃないかって、悩んでいる。」

この人、凄いなと思いました。
心でも同じ問題が起きていると感じていたからです。

数年前からブームとなったポジティブ思考。
私は、カタチにだけ囚われたポジティブが、うつ病を増やしたと考えています。
なぜなら、ポジティブがネガティブを「悪」と見たからです。
ネガティブは、ネガティブなりに平和に生きていたのかもしれない。
そこへいきなりやってきたポジティブが、ネガティブを廃除しようとしてきた。
つまり、正義感が強い人ほど、

「悪」が許せない

だから、心の中で内部戦争が起こってしまったのです。

悪い部分を、消そうと必死になってる。
自分の「正義」を自分に押し付けてる。

追いやられたネガティブが、生きる場所を失ったのです。

「白」か「黒」か
「正義」か「悪」か
どちらかが「答」だと思ってるから、争いが起きる。
どちらか、ではない。
両者があって初めて「答」なんだと思う。
かりに「答」があるとすれば、
グレーの部分だろう。
つまりそれは、
「正義」と「悪」との間に、「答」が隠れているということです。
「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」だと言いますが、
「正義」の反対も・・・
「悪」じゃないのでしょう。
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相手への期待(コントロール) ( 6 ) 自分の人生に責任をもつ ( 5 )

人の期待は裏切っていい

記事:大丈夫。「良い子」をやめても、あなたはいい子だから
を、Facebookでシェアしてくださった方、本当にありがとうございました。
お蔭で、最高PV一万越え!!と、沢山の人に読んでいただけました。
書いたのは私ですが、想いを伝えてくださった方が、あの記事に命を吹き込んでくださったと、感謝しております。
本当に、いつもありがとうございます。
こんにちは。
心えがお代表 岸田知佳です。
引き続き、「信じる」という愛のカタチについてお話をします。
私が頻繁にいただく質問のひとつに、

「17歳で東京によく出してくれたね、親は何も言わなかったの?」

といった質問があります。

その時に親が何を言ったかどうかは忘れました。

でも、ただ一つ言えることは、あの時、
「自分の病気やけん、自分で絶対治してくる!」
という私(の言葉)を、親は信じてくれていました。
いいえ。『あの時』じゃなく、
あの時からずっと、今も。です。

過去の話

私は東京に着き、変わろうと決めた証として、すぐにピアスを開けた。
「優等生」をやっていて病気になったんだから、不良になったら治るんじゃないか?
そんな気がしていたのだ。

私は母にこう言った。
「ひとつ、絶対なお願いがある。私はこれから痛い目に合うかもしれない。最悪、私が死んだとしても、お母さんは悲しまないでほしいんよ。私は、幸せだったって、思ってほしい。「あの時に行かせなければ・・・」って、苦しまないでほしいんよ。そう思われることが、私は一番辛い。」

決して死にたいと思っていたわけではない。
むしろ、どこかワクワクしていた。
私にとっては冒険だった。

自分を変える冒険。

しかし、せっかく実家を離れたというのに、何をするにも「自分が愛し過ぎている家族」という存在が、私の邪魔をしてきた。
この時、「愛しているから殺す」の意味が理解できた。
事もあろうに、私は、「家族がいなければ、病気は治る」と、思っていたのだ。

※だからと言って、目に見える外的世界(三次元)にいる相手を本当に叩きのめす必要はない。無論、「ため息、睨む、暴力、脅す、殺す」というコミュニケーションは歪んだコミュニケーション(対人関係療法)である。

そして22歳の冬。

過干渉で、私を愛し過ぎた祖母が、天に召された。
私は実家に帰り、お葬式に出席。
そして、火葬場で祖母の肉体との別れの瞬間、
私は大声で泣いて叫んだ。

ごめんなさい!

ごめんなさい!

ごめんなさい!

自分でも訳が分からなかった。
何故、私は謝っているのか。
何を誤っているのか。
周りにいるお葬式に集まってくれた親戚も、さぞかし私が悪い事をしたと思ったろう。

母に聞いた。
「あの時、『ごめんなさい』って言ったんて、変だったよな。なんか、その言葉しか出んかった。」
でも、今ならわかる。
私は祖母の期待を裏切ったのだ。
私は、子供の頃から周りに期待されて育った。
とくに、祖母には。
「知佳ちゃんは、頭がいいなぁ」と褒められると、
頭がよくなくちゃいけない気がした。
裏切る事が怖くて、私は隠れて勉強をするようになった。
他にも、何かと褒められることが多かった。
褒められるごとに、私は鎖で縛られていくようだった。
これぞ本当の意味で褒め殺し。
長女として、「この家を継ぐから・・・」と期待をしていた。
小学校の頃から相続税の話を聞かされ、好きになる相手は次男じゃないとダメだと言い聞かせられていた。
お蔭で、今でも相手が次男かどうかをとりあえず聞く(笑)

期待を裏切れなかった。

その後、しばらく私は罪悪感で苦しんだ。

23になり、私は銀座でホステスとなった。

気まぐれで、気分屋のお客さんは、「明日行くよ~」なんて言っても、その日の気分で来なくなる。
「あと1時間で行くよ~」なんて言っても、店に来る途中に可愛い女の子に勧誘でもされればそっちへ行く。
人間の気分なんて瞬時に変わるモノなのだと、気付いた。
私はいい意味で人に期待をしなくなった。

するとどうだ。

裏切られることがなくなった

同伴ですっぽかされたとしても、自分の見る目が無かったのだと思うだけで、相手を責めなくなった。
期待をしていないから、傷つくこともない。

失敗をした。・・・次から気を付けよう。

というような学びにしかならなくなった。
お蔭で、人を責めるという無駄な時間を過ごす事が減り、人をよく見るようになった。

そう。。

「人が」「勝手に」期待をし、
思ったように動かない相手に対して、
勝手に」裏切られたと傷を負う。
それに気付き、
私にあった祖母への罪悪感は消えた。
私は、自分を生きただけ。
悪いことは、何一つしていないんだ。

真の「信じる」という行為には、「裏切り」は存在していない。

父も、母も、最初から私のことを信じてくれていた。
東京に出ると言った時も、
ダンサーになると言った時も、
銀座でホステスをすると言った時も、
私を止めなかった。
「知佳なら、どんな仕事をしても正当にやり抜くだろう」
と、言ってくれた。
私という人間そのものを信じてくれたから、今の私が出来上がっている。
16まで、自分(自我)が無かった私が、
約10年をかけて、
唯一無二の存在である「自分」が在る。
という状態になったのだ。
てなわけで、前回の記事で期待して読者登録してくださった方は、私に裏切られるので期待をしないようにしてください!笑
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大丈夫。「良い子」をやめても、あなたはいい子だから。

昨日のカウンセリングで、私は涙を流してしまいました。

泣いて、ハグしました。

患者と共に、涙を流すなんて・・・

カウンセラーとして未熟だと思われるかもしれませんが、

かつての自分のように苦しむ子を目の前にして、泣かずにいられませんでした。

こんにちは。
摂食障害カウンセラー 岸田知佳です。

母親は、

「良い子に育てないと・・・」

「自信を持たせないと・・・」

「この子の将来が不安で・・・」

そうやって、愛するがゆえ呪いをかけて育ててきた。

でもね、

授かった子供に悪い子がいると思いますか?

自信のない子がいると思いますか?

将来に不安をもって生まれてきますか?

子供は、夢と希望を持ってここに来るんです。

生まれてくる子供に、悪い子は誰一人としていません。

何の為に、授かった子供を信じないのですか?

何がアナタをそうさせていると思いますか?

その「不安」は、誰のものですか?

子供の将来が不安なんじゃない。

「お母さんが」不安なんです。

早く、子供を自由にしてあげてください。

子供をコントロールしようとするのをやめてください。

子供も、自分と同じ一人の人格をもつ人間であるという事を認めてください。

親の仕事は、子供が失敗しないように守る事じゃない。

子供が失敗をした時に、味方になって守ることです。

どんな過ちを犯したとしても、

世界中の誰もが否定しても、

「お母さんも、一緒に責任を背負うよ」

と、何があっても子供を信じることが親の愛です。

無償の愛を、知り、気付き、分かってください。

そして、

苦しんでいる子供ちゃんへ。

大好きな大好きなお母さん。

傷付けたくないよね。

お母さんを悪者にしたくないよね。

でもね、お母さんも一人の人間です。

神様ではなく、過ちを犯す人間なのです。

それに、気付いてください。

あなたは、お母さんが大好きだからこそ、

お母さんの嫌がる事をしてこなかったよね。

お母さんを困らせたくなかったから、頑張ってきたんだよね。

でもね、それは本当の愛じゃないと思うよ。

お母さんを本当に愛しているなら、信じてください

信じて、

自分がやりたい事をやりたいと言い、

自分が嫌なことは、嫌だと伝えてください。

その勇気を持ってください。

そして例え嫌われても、愛したければ愛せばいい。

もっともっと、大きな愛で、お母さんを包み込めばいいじゃない。

人を愛する権利を奪う事は、誰にも出来ないんだから。

心のままに、愛せばいい。

お母さんに限らず、お父さん、先生、恋人、友達…

あなたは、あなた以外の誰かに好かれるために、

あなた以外の誰かが望んだ姿になろうとしなくていい。

「良い子」をやめても、あなたは良い子です。

そして、

「優しい子」をやめたら、

本当の意味で「優しい子」になる。

嘘のいい子をしていると、病気になる。

嘘の優しさをしていると、心に毒が溜まる。

頭は嘘つきの天才ですが、

潜在意識だけは、嘘はつけません。

自分に嘘をつき続けた結果、

私たちは病気になったのです。

「私、幸せになっても良いんですか?・・・幸せになりたいのに、なぜかそう思うんです。」

私のところに来ている患者さんの8割が、この質問をどこかでしてきます。

なぜ、病気になった彼女たちが、こんな思考をしていると思いますか?

楽しい事をして、怒られた体験があるからです。

子供が楽しんでいる姿を見て、

『こんなに遊んでばかりいたら、ダメになるんじゃないか・・・』
『もっと、こうしないと・・・もっと、ああしないと・・・』

ダメになったら、ダメなんですか?

ダメな子は、愛せないですか?

そもそも、

ダメって誰の基準のダメですか?

アナタがダメだと思っても、そのダメさを愛する人が何処かにいると、どうして信じてあげないんですか?

すみません。

今日は感情のままに、厳しい事を書きましたが、耳に痛い言葉ほど、心で聞いてほしいです。

私は嫌われても良いです。

私の仕事は、患者さんを本当の意味で治す事です。

好かれることじゃないです。

他の事はテキトーでいい加減でも、

この姿勢だけは、貫き通します。

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自分に正直に(真っ直ぐ)生きる

「都合のいい女」「都合のいい友達」

「私と仕事、どっちが大切なのよ!」なんていうセリフをぶっこまれたら「仕事だよ!」といえる自分になりました。
その理由は2つ。
ひとつは私にとって仕事=お金ではなく、仕事=私の夢、人生になったということ。
二つは、私が自分の人生を大切にし出したということ。
「夢」は、私が生きている原動力であり、この宿命を果たすことが、この三次元に生きている醍醐味です。
私にとって、ディズニーランドで遊ぶことよりも、患者さん一人でも楽にしてあげられる方が幸せです。
この私の「夢(人生)」に対し、突然、目の前に現れた「誰かさん」とを天秤にかけ、「どっちが大事なのよ!」と言っているわけですから、比べようにならないのは明らかです。

「でも・・・運命の人かもしれない!」

大丈夫です。そんな事を言う人は運命の人ではありません。あなたの行く路を憚るのですから、むしろ「試練の人」でしょう。

「大切な友達なの!」

恋人であれ、友人であれ、自分の夢(人生)を応援してくれないような人を、大切に周りにとっておく必要があるでしょうか。

その人はきっと、今までアナタにとても親切だったかもしれません。
でも振り返って思い出してみてください。その人は、アナタが悩んでいる時に心から寄り添ってくれていましたか?
もしイエスなら、あなたの生き方を尊重するはずです。

「都合のいい女」「都合のいい友達」になる現実を引き寄せていた過去

かつての私は、人に誘われたら断るのが凄く悪い気がして、睡眠時間を削って無理矢理調整したりしていました。
彼氏とデートする場合でも、相手の都合が良い場所や時間を選んで、私は無理をしていました。
子供の頃から人が喜ぶ顔を見る事が好きだったから、それを見て満足していたんだけど、、、

でもね、これをやっているとどうなるか・・・。

だんだん彼氏はそれが当たり前になって来て、私のことを大切にしなくなった。
友達もそう。私がどうしても外せない用事が出来た時に、いざ誘いを断るとぷーっと膨れた。

結局、私は「都合のいい女」「都合のいい友達」になっていた。

私が自分を出したら、誰を大切にすればいいか分かりました。

私は自分の夢や体を大切にし、そこに時間やお金を使った。
無理して遊びに行ったり、お酒を飲むことをやめた。
そうしたら、「都合のいい女」を探していた男達は、私から離れて行き、
「都合のいい友達」を探していた友達は、私から離れて行った。
私が、彼らや彼女たちの『物』にならないと分かったから、彼らは去って行ったってこと。
去って行った彼らは、自分の物であるうちは大切にします。その人たちは、私にだけそういう態度ではないはず。
人間は、「何か一つにだけ出る」という事はないんです。
人間関係(友達・恋愛・親子)、食べ物、仕事、お金、どんな面にだって、転化します。
私に出ているということは、他の友達にも出ています。

26a

でね、その人たちは探しているの。
我慢して自分の為に生きてくれる人を。
あなたは餌食になっちゃいけない。
その人がどんなに素晴らしくて、かっこよくて、素敵だと憧れるような人でも、
その人の為に生きちゃいけない。
間違っても、彼らが去っていった事で「自分が悪かったんだ」などと自分を責めたり、「やっぱりあの時に言う事を聞いておけば」などと後悔をする無駄な時間を生きないように。
自分の為に生きてください。
自分の為に人に嫌われる勇気をもってください。
大丈夫。嫌われたって死にません。
むしろ、そんな相手に好かれることの方が危機感を感じます。
その人は、今後もあなたがノーと言うまでずっとあなたの人生を邪魔してくるでしょうから。
結果、あなたは自分自身を嫌いになる。
生まれた時から24時間、一緒にいる相手が自分です。
そんな自分に嫌われてみなさいよ、それこそ、生き地獄ですよ。

私が自分を大切にしたら、私を人として大切にしてくれる人だけが周りに残りました

自分を出せば、本当に自分に合った、自分を大切にしてくれる友達や彼氏が出来る。っていうか、「残る」んです。
よく、自分を愛していない人間が他人から愛されるはずがない。こんな言葉を聞くことがありますが、それはきっと、こういう事もあるのだと思います。
我慢して、自分を偽って生きたら、本当なら出逢っていたであろう大切な人を失います。
それはつまり、誰からも愛されない人なるということです。
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「弱さ」は一切のいい訳にはならない

下宿も携帯も2年契約なんだが、これまで一度たりとも2年もったことはない。これは決して私のせいではない。壊れる携帯が悪いのだ。そうだ。きっとそうなんだ・・・よ?・・・下宿は残念ながら何の言い訳も思いつかない。。。携帯ショップで身分証明として保険証出したのだけど、住所欄が修正液で何回も修正されてボロボロなもんで、携帯ショップのお兄さん一時停止したよね。そりゃね、12年で12回引っ越してますからね。

09a

携帯を変ました。
ついでにアイパッド(っていうのかな?大きい携帯?小さいパソコン?)も買ったら一気に部屋が機会だらけになってしまった。何を隠そう、この写真を撮っているのもアイフォンです。
世の中はどんどん便利になっていくけど、その便利さによって奪われているものもある。 今回、結膜炎になってコンタクトがどれだけ目に負担がかかるのか実感した。 ある社長さんがこんな事を言っていたのを思い出した。 「目が悪くなった人間の目を拡張させてまで、見させようとするから、肩も凝るし、頭痛くなるし、他に悪いところが出来るんだ。人間に無理をさせ過ぎなんだよ!」 この社長さん、なかなか面白い事いうな。と、思った。

そうなのだ。それがこの世の原理。物理的な便利さを生み出すことは、楽になるだけではなく、それはどこかで無理が出来るようになるということ。 人間のカラダはとても正直だからどこかを庇おうとすると、どこかに負担がかかって悲鳴をあげて教えてくれる。

これは、万事において成り立つだろう。何も物理的豊かさや人間の体に限った事ではない。誰かを救おうとすることが、誰かを傷つけることにもなる。私が書いた記事で元気になる人もいれば、へそを曲げる人もいる。
2013年3月。ブログに書いた自分への質問に「正義とは何か。」「自己犠牲と偽善の違いとは何か。」を題材にあげた。 その翌日、「簡単すぎた。」と、ブログに綴ったのだけど、それから1ヶ月もの間、これについて考えさせられる出来事が続いた。 そして心に残っているのが≪下手な自己犠牲は偽善の自己満足に過ぎない≫という事。 ≪神なき自己犠牲は自分をも他人をも幸せにせず、エゴイズムと同じ虚無に陥る≫という事。
優しさとは強さの事をいう。強さとは優しさをいう。
私は誰かを思う気持ちが、自分を強くしてくれたと思っている。
すなわち、自分の事しか考えられない人間は、弱くなるのだ。
私のツイッターより>>
僕は弱い人間だ。とかわざわざ言ってくる人いるけど。まず、そういう人は何を勘違いしてるのか。この世に強い人間がいるとでも?自分の弱さを知り、それを受け入れて強くあろうとすること。それが強く「みえる」人と、弱さを言い訳に何もしない人間との違い。弱さは一切の言い訳にはならない。
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つぶやき

欲求5段階説

今日で夏休みも終わりかー・・なんて話していたら、
父(元校長)いわく、既に学校が始まっている地域が殆どなのだという。
早いところでは、一週間も前に始業式を終えているんだと。。
「あー、そりゃ「生きてる意味が分からない」って言う小学生が増えるの頷けるなー(前にどこかの新聞に書いていた)」なんて父に言ったら。
「生きてる意味なんか、そもそもない。無いものを探すからおかしくなる。」と返された。
で、思ったのは
【生きている意味を考えるってこと自体が危険信号】
だということだ。
私もそうだったけど、病気になる前まで、生きている意味とか考えたことなかった。
それを考え出すっていうことは、「生きているのが辛い」ということの現れなのだと思う。

「なんでこんなに苦しい思いをしてまで生きなきゃいけないんだろう」
→「あれ。ていうか何のために生きてるんだっけ」
→「くそー!生きている意味をくれー!!」

って感じ。
それを文句にしてみたら「生きている意味がわからない」になるわけだ。

しかしね、以前にも「私は声にならない声を聴いている」と書いたけど、人間の表層に出てくる部分というのは、かなり省略可された言葉なのだ。
つまりは、
「(生きる為に)生きている意味をくれー!!」
ってこと。

NLP(Neuro-Linguistic Programming)の応用心理学的な技法のワークで、チャンキングというのがあるけれど、それに当てはめても解ける部分。
この場合はチャンク・アップ(chunk up)になる。
生きる意味が欲しい→「質問:じゃあ、それが手に入ったら、あなたはどうなりますか?」→「生きられます!!」

ってことね。

潜在意識の声

さて、ここで「生きる為に」って言っている時点で、すでに自分は「生きたい」って言っていることに気が付かないだろうか。
潜在意識にある本能が叫んでいるのに気が付かないだろか。

すなわち、生物(有機体)にとって「生きる」という生存欲求(マズローの欲求5段階説:画像1)というものは無意識(本能)に組み込まれたプログラムである。

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そうえいば、スティーヴ・ジョブズ(Steve Jobs)氏の卒業スピーチにも、
【死を意識することは役に立ったが、単に頭のなかの概念でした。天国に行きたい、という人さえ、死を望まない。】という文面があった。

だからこそ、「生き地獄」という領域が存在しているのかもしれない。。。
私は、生きることも死ぬことも出来ないという領域にいた時期があった。
抜け出れば、生きているだけで丸儲けっていう言葉がぴったりくるくらい、生きているだけで笑えるくらい(頭おかしくなったわけじゃないよ笑)幸福だと感じることができた。
そして、生きているだけで満足せずに、欲深く生きている人間が汚くも思えた。
(※「生きる」ということが最高の欲であると気づいたのはそれから後の話である)
余談ですが・・・マズローは、この欲求5段階説を発表した後に、「よく考えてみると、逆だったかも?」なんて言っていたそうです。
どういった理由からなのかは、調べていないので私の見解で語りますが。。
おそらく、これは人類の進化に伴い肥大化した前頭前皮質のなせる業なのではないかと考えています。

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スタンフォードの自分を変える教室 – ケリー・マクゴニガル
例えば、夢のために睡眠時間を削るミュージシャンや舞台俳優など・・・(自己実現>生存欲求)
仲間に入れてもらうために、危険なことをおかす組織犯罪・・・(所属欲求>安全欲求)
人から愛される為に、お腹が空いていても食べ物を我慢して痩せることが出来たり・・・(承認欲求>生存欲求)
このように、人間は複雑な生き物になってしまいました。。。
特に、日本は江戸時代に「お家」というのを大事にしてきた国であることから、他の国に比べると「所属の欲求」(第三次欲求)が強いかもしれませんね。
それゆえ、仲間外れにされたり、人から見下されたりを恐れます。そして、回避するために大切な命を削ることもあります。
・・・まあ、恐怖って・・・
起きたことないから想像が膨らんでデッカい怪物みたいになっているだけ
で、実際に起こると・・・だんだん蚊が刺したくらいの痛みになってくるもんです。笑
実際に私は、道場で「認められない」という私にとって最も恐怖である体験を、グッサグサされる修行を受けること40日・・・
認められようとしていた自分が滑稽に思えてきて、穴があったら入りたいと思うくらい恥ずかしい気持ちになりました。
(※ついでに書くと、他人から承認されようとするのは自分が自分を認めていないからくるものです。認める=愛)
貴方が恐れていることも、起きてみると大したことないのかもしれませんよ。
それより怖いのは、そんな妄想にエネルギーを持っていかれて、今をないがしろにすることです。
余談とか言いながら・・・結局長くなってしまいました。(・・・本文より長い?;)
そして何が言いたいのかわからなくもなってきたので、この辺で終了にしておこうかな笑
最後にまとめを書くとすると、
私が今、感じているのは、この5段階というのは並列なんじゃないかということだ。
人間は欠けている部分があればそこを補充しようとする。
特に人と比較をする人ほど「欠けている」を探しがちになる。(※比較することが完全に悪いわけではない。また機会があれば書くが、人は他者と比較をすることで、自分の存在を知ることが出来る)

そして人によってその重要度も様々であり、一人の人でも、時期によって違ってくるものなので、常に一定の順番にあるとは言いきれないのではないだろうか。

また、感じ方(生まれ持った因子DNA)に組み込まれた部分も影響が出るとは思う。

参考:【人格形成】クロニンジャーの7因子パーソナリティ理論

例えば、人情深い人であれば、他者を喜ばす為に自分の睡眠時間を削ったり、食べ物を分け与えたり出来るだろう。

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カウンセリング

人は、希望で動く

葉月。立秋とは名ばかりの猛暑が続いております。いかがお過ごしでしょうか。

約1ヶ月前。
電話カウンセリングの予約に、どこか懐かしい名前を見つけました。

もしかして・・・。
と思いつつ、その時間に電話をとりました。
「先生、お元気ですか?Aの母です。」
思った通りでした。
そこにあったのは、ちょうど約1年前に、私のカウンセリングへ初めて来てくださった10代の女性の苗字でした。
私がカウンセラーを復帰したという事を知り、お母様からご連絡をいただいたのでした。
「先生に会いたいって、ずっと言ってたんです。」
そして、私がカウンセラーをお休みしている間に、体重が5キロ落ちてしまい、入院となった。と。

その後、外出許可をもらった彼女と、数回、電話カウンセリングでお話をしました。そして先日。めでたくも退院となりました!
そんな彼女から、凄く嬉しいプレゼントが。

b

書かれていた文字をみて、驚きました。
私が入院中に書いていたスケッチブックの表紙と同じ
夢 希望の文字。

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↑ブログで何度か紹介している、私の入院中に書いていたスケッチブックと詩です。

そして茶封筒の中を見て、さらに驚きました。
私とAちゃんが手を繋いでいる絵。

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私が書いた絵と、何となく似ているのです。(私の絵は宇宙人だけど・・・)

ああ、やっぱり同じこと考えるんだな~って。

そして、カウンセリングでこう言ってくれました。

先生の言ってた【希望】と【光】っていう言葉が支えでした。

そう、人は希望で動く。

子供の頃、
「勉強しないと、立派な会社に就職できないわよ」
「頑張らないと、受からないわよ」

「○○しないと、○○になるわよ」

いつの間にか、日本の教育は「恐怖」の教育に変わりました。

なぜだか、わかりますか?
それは、人が他人を動かす一番の感情が「恐怖」だからです。

よくCMでもありますよね。
例えば、キッチン洗剤のCMなんかは、まな板にたっぷりのバイ菌がついた映像を見せます。
これは、心理作戦です。

でも、同時に「恐怖」とは、人間にとって一番の「ブレーキ」なのです。
インディアンの子供は、小さな時に親に火を近づけられ、恐怖を植え付けられます。
これは自分の子供を、「火」から守るためです。

程よい恐怖は、自分の身を守ります。

が、

恐怖でいっぱいになった頭は、ブレーキだらけで身動きが取れなくなるのです。

つまり、自分を守り過ぎるのです。

菌を必要以上に怖がる「潔癖症
高い所を必要以上に怖がる「高所恐怖症
失敗を必要以上に怖がる「失敗恐怖症
人を必要以上に怖がる「対人恐怖症
異性を必要以上に怖がる「男性(女性)恐怖症

あげればきりがないので、この辺にしますが、言っておきますが、これは全て根本が同じことです。
なので、芋ずる式に恐怖症を併発したりします。
私の場合も、対人恐怖症、潔癖症を併発しています。
でも、逆に言えば、いくつかの恐怖症を持っている人は、ひとつ治せれば、芋ずる式に治っていきます。

少し話がずれたので、戻します。

他人から、好かれたい
→嫌われたらどうしよう・・・

他人から、褒められたい
→見下されたらどうしよう・・・

恐怖で動くのは、もうやめましょう。

人が自分から動くのは「希望」です。
希望から動く人間になりましょう。

※ブログ掲載の許可いただいています。

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Diary

人は、存在で付き合っていく

オフの日でこそ参戦できる欲望を剥き出しにした戦い。

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溢れださんばかりの希望(トマト)を詰め、何事もなかったのような顔をしてレジに並ぶ岸田知佳です♪こんにちは!
そう。いつものように、レジでお会計を済まそうとした時でした。レジの女性が何かを私に言いました。
私は一瞬、タッパーの蓋が閉まらないから減らしてこいと言われたのかと思ったら(笑)
「これ、美味しいの?」と。
彼女の手に握られていたのは、スプラウト。
「いくつか買ってるやつは、きっと良いもんなんだろうな~って思って聞いてみることにしてるの。」
彼女はただ時間をお金にするのではなく、お金以上のものを手に入れる素晴らしいお仕事をしていると思いました。改めて、どんな在り方で時間を過ごすか、が、その人の人生を楽しくするか、を感じた出来事でした。そして、いつだったか、とある社長がおっしゃっていた事を思い出しました。
「デブが嫌いなんじゃなくて、デブになる生活スタイルをしているデブが嫌なんだよ。てきぱきと一生懸命に働いてるデブは嫌いじゃない。」

ここでワークです。

はじめましての人に、自己紹介をしてください。

あなたは何を伝えましたか?
名前でしょうか、年齢でしょうか、職業でしょうか、住んでいる場所でしょうか。性格だったり、肩書だったり、資格だったり、大学だったり、年収だったり、、のような分かりやすいもので、自分を他人に伝えるかもしれません。

が、これってなんでしょうね。
これは「私」ではないですね。
「記号」であったり、「分類」であったり、「誰かと比較したもの」であったり。過去に得た記憶です。
頭の中にある記憶であり、「あなた」ではないのです。「私」とは記憶ではないのです

人とは「存在」です

どこに住んでいるか、どこの大学を出て、今まで何の仕事をして・・・このデータは履歴書で使うものです。面接官が短時間で見極める為に。
しかし、ここで受かったとしても長く雇われるかは別の話。
なぜなら人が付き合っていくのは、データではないからです。存在と付き合っていくのです。

では、ここで大先輩ルフィーさんの自己紹介を見てみましょうか♪

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「俺は、海賊王になる男だ!」

もしルフィーが、
「俺は○○の大学を出て、年収が○○で~・・・」と過去の事をいう男だったら、ゾロやナミ、サンジは付いて行ったでしょうか。

ルフィーが常に今を生きて、未来を見ているから、付いて行ったのだと私は勝手ながら思っています^^

最後にもう一度質問です

あなたは、誰ですか?

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記憶と思考

ルーチンスの水瓶問題

人間が問題解決する際に陥りやすい問題点として、1942年、米国の心理学者ルーチンが「心的構え」の効果を調べるために用い、認知心理学に取り入れた。

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<課題>

3つの大きさの異なる水瓶を用いて、必要な量の水を得るにはどうしたらよいか。

<解説>

・ 問題1は練習問題
・ 問題2~6は、(B-A-2C)で解ける。その結果、問題7、8でも(B-A-2C)で解こうとしがちである。しかし、問題7は(A-C)、問題8は(A+C)で解いた方がより簡単である。
・ 問題9は(A-C)で解ける。これは問題8までにできた「構え」を回復させるための問題である。それにもかかわらず、問題10、11でも再び(B-A-2C)という解決法をとってしまう。もちろん問題10は (A+C)、問題11は(A-C)で解いた方が簡単なはずである。