こないだ、私は他人に対して常にニュートラルでいたい。という記事を書きました。
(こちらです―人を「嫌い」にまでもっていかないニュートラルな姿勢~平・等~―)
その時に私の心に「平等」の考えが根付いている事を少し書き、「それがいきすぎて苦しむ事があった」とちょこっと書いていました。
今日はそのことを書きたいと思います。
※今日の記事は先に「人を「嫌い」にまでもっていかないニュートラルな姿勢~平・等~」を読んでから読み進めてください。
他人を悪者に出来ない自尊心を下げる生き方
イジメられても、喧嘩をしても、明らかに相手が悪い時でも、
「もしかしたら、私にも悪いとこがあったのかもしれない。彼女がそういう事をするのは、背景に何かがあって、彼女も傷ついているんだ!!」
そう思っていたんです。汗(いや、正確には思うように頑張っていた)
その人に対して「怒り」の感情を持つことはいけない事だと思っていました。
だけど、何かされたらもちろん嫌だし、私も傷つくわけです。
そうすると、心はどうなるのか・・・
「あの人の事を悪く思っている自分ってなんて性格が悪いんだ!!」
そして自分のなかで
「私は性格が悪い」
と思い込み、また、虐められたら
「私は性格が悪いからイジメられて当然だ」
・・・
どんだけ自尊心下げてんねん!!(`・ω・´)
それが続く事により、私は、どんどん自尊心が低くなりました。(・・・かなりバカでしょ?笑)
プライドを捨てて自尊心をあげる
一見プライドが高い人は自尊心が高く自分に自信があると思われがちですが、
実はそうではありません。(例外もあるかもですが)
よく
「私は●●でなければならないの!!」というと
「プライドが高すぎるんじゃん?」っていう会話がなされます。
しかし、「~でなければならない」という心情のうらには
「私は●●な人間でなければ、価値がない」が隠れているケースがあるんです。
自分自身の存在価値というのを、●●で補い、
プライドを保つ事で、自尊心が低い部分を補っている(た)のだと思います。
わざわざ他人から「こう見られなければ!!」などといったプライドをもたなくてすむのです。
そりゃそーだよね。
プライドを捨てる事が出来たってことは、自尊心を上げるスタート地点にたったってこと。
自分で自分を褒められるんだから、他人の評価に敏感にならずにすむよね。
人を悪者に出来ないと、そこに起こった負の出来事の責任を全て自分で背負う事になり、自尊心を下げてしまう可能性があるのではと考えます。
なんだか、こっけいでしょ?

自尊心を守る為に、他人を悪者にする時があってもいいと思う!!
ただ、その時に悪者にしても、「キライ」になる必要はないということです。
私の書いているメンタルヘルスやセラピーは、自己啓発やコミュニケーションの思考とは繋がってはいるものの、対になっている事があります。
何に対してもやり過ぎれば支障が出るということ。
case-by-case
原則に囚われず、その時、その時に適切な判断力を持つことが大事ですね^^

