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◆自尊心を育てる(自己志向性) ( 5 )

人を「嫌い」にまでもっていかないニュートラルな姿勢~平・等~

「知佳って絶対人の事、”全部”悪くいわないじゃん。必ず『でもね、この人は○○○○な良いところもあるんだよー』って悪いところがあっても、ちゃんと他のとこも見てるから、そういうとこが好き。」
と、言ってくれる方がいて、自分でもそこで言われて気付いたのですが、私のベースに「人の悪いトコより良いところを探そう」があるんです。
これは小学校の頃に担任してくれた大好きだった先生の教えでして、この言葉に小学生ながら「なんて素敵な言葉だっ!!」と思って実行するようになったのが始め。
「やだなー」という部分を見たからといって、それがその人の全てではないのはもちろんのこと、その人自身のコンディションや、その場の条件によってもなされた結果かもしれない。だから、そういう部分もあるんだねって思うのです。
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よくこのブログで書いてるけど、人って一色じゃないんです。色んなカラー(要素)をもっていると思うんです。< だから、たまたま自分と違う色を見たとして、ミスマッチしたとしても、絶対値として「キライ」のポジションにはもっていきません。
常に人に対してはニュートラルな姿勢で対応したいというのがあります。(もちろん「好き」であっても)
「キライ」という感情があると、相手のせっかくある「良いところ」に気付きにくくなってしまいます。
それって自分が損してる気がしませんか?
また自分自身、フィジカル的にも多かれ少なかれ影響は出るはず。
「キライ」という感情で無意識に自分自身が身構え、身体を緊張状態にします。
緊張した状態というのは、身体にとって大きなストレスとなります。
“キライキライも好きのうち”という言葉がありますよね。
まず、なんで「キライ」になるのですか?って事なんですけど、自分が相手に何らかの期待をするからなのだと思うんです。
期待っていっても、そんな大きなものではなくて無意識にしている期待です。
もっと砕いて言うと・・・自分の「~であろう」という”自分に都合のいい勝手な想定“であり、「予想図」「イメージ」と言ってもいいかもしれません。
その自分が準備していた想定と違った色を出されたことに対し、負の感情をいだくからなのだと思います。
負の感情とは、悲しみかもしれませんね。。。

なので「キライ」になる以前に、自分にとって”特別”だったり何かしら”意識する存在”であるということ。
逆を言えば、期待もしないどうでもいい、関心のない人に対しては「キライ」の感情すら抱くことはないと思うのです。(この場合、凄い嫌がらせをうけたり等は含まれません)

人を嫌えば「好き」同様に「キライ」を意識しているわけだからそれなりに神経を使っているということになりますよね。
しかも「好き」という感情の場合は、どちらかというと「プラスの思考」なので、その感情に任せて自分の無意識にしてしまう行動を楽しんでもいいのかな?と思っていますが、「キライ」って「マイナスの思考」になるので他のマイナス要素も引きつけてしまうわけです。汗
最終的に、自分自身をも嫌いになり兼ねません。
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私はアンデルセン童話とかイソップ物語だとかの影響かもしれないけど…
全ての人に対して平等でいたいという想いがずっと子供の頃からあります。(このバカ真面目な正義感のせいで、過去、自分の首を絞める段階があったのでむやみに「平等」を掲げませんけど)
学生時代も人権問題として、部落差別や人種差別等の授業で「平等に!!」を学ぶと思いますが、いつの間にかその姿勢が私にとって無意識なところにまでストンと落ちていました。
私は光の裏に影があると知って光をみるし、影があるからにはそこに光があることを意識しているようです。
だから人に興味あるし、無関心には滅多になりません。
目に見える部分を見ることは簡単だから誰にでもできます。
学び、人として成長するって事は、影であるシャドーを見る能力を身につけて行くという事だと思うのです。
もうね、これは磨くしかない!!
だから物事であれ人であれ「キライ」がそこに存在するなら「好き」の可能性があると思うし、
白黒はっきりさせる事は悪いことではないけど、可能性を狭めるので私はしないように努めています。
だからこそ、どの人に対しても常にニュートラルでいたいと思うのです。
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どんな人にも神様から授かった素敵な部分がある。
それを見つけるのって「宝探し」っ☆ 見つけよう!!宝を!!

あー・・・気が付いたらまた長文に!!!
ココまで読んでくれた方、ありがとうございました;