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妬み・文句・羨望の本質を知る

誹謗中傷メッセージの心理分析

以下等のメッセージをわざわざアカウントを新しく作り、消しては登録し直し、また消して…と、違う人のふりをして送ってくる人がいらっしゃいます。(ひ・・・暇過ぎる・・・)差別用語も使い、あまりにも言葉遣いが汚いので、目が痛くなる文面ですが、(同じような方、いらっしゃったらすみませんでした;)このメッセージには、かなりネタになるものが詰まっているので、サンプルとして取り上げさせていただきます。実は、他人に対するネガティブな感情は、自分の内面が浮き彫りになるのです。

お前本当頭悪いな。さすが高卒。偉そうに語らないで病気の事だけ書いてろよ基地外。現実では誰からも愛されない生きる価値もない人間。よく生きてられるな。美貌も教養も取り柄もないくせにいい女いい人語りやめろ。

まず、「さすが高卒」って・・・。高卒を敵に回しましたね、アナタ。という冗談はおいといて・・・

目に見えるものへの囚われ

今の時代、学歴等を気にしている方は、どれくらいいらっしゃるのでしょうか。学歴やステータス、そんなもんで人間の価値を決めては勿体ないと私は思います。もちろん、企業によっては大学に行っている方が有利に立つ場合もありますが、それは大学に行ったからではなく、大学という環境でその路の実力をつけたからです。いくら名門大学を卒業していても、会社で役に立たなければ直ぐにクビになります。
資格も同様に、資格があるから素晴らしいのではありません。資格はあくまで資格の基準を満たす実力があったことの証明でしかありません。
そしてこれらは過去形です。資格を取ったら安心する人がいますが、資格取得は終わりではなく、そこが始まりです。
もっとその裏に隠されたものにフォーカスをあててみましょう。そもそも、なぜ「資格」というものがこの世に誕生したのか。むやみやたらにステータスに飛びつかず、今一度立ち止まり、じっくり考えてみた方が良いかもしれません。

資格<人格

資格ビジネスの時代も終わり、個人のブランディングを重要視している時代が来ました。私は人格の上に資格や学歴が活きるのだと思っています。
それを「資格を取ったから安心」「良い大学出たから安心」と、ステータスにばかり拘っていると、自分の根本的な人間性を磨くチャンスを失ってしまうと思うのです。目に見える表面的な部分(や利益)に囚われず、もっと深く物事の本質を見抜く力が必要だと考えます。

自分を生きにくくしている方程式

私のブログでも何度も書いていますが、「○○だから○○だ」という方程式は、思考の自由、人間の可能性、創造力を奪う源です。世間がとても狭くなり、自分自身が生きる幅の制限をされてしまうのです。例えば、「私は太っているから、恋愛なんて・・・」とか、「私は目が小さいから、化粧しても・・・」とか、「私はもう歳だし・・・」とかね。そうやって諦める人が100人中99人いたら、その住所なき常識を信じない一人が必ず成功するでしょう。

その常識をまず、捨てたほうが良い

なぜなら、逆に上手くいかない時に、「私はこんないい大学を出たのに!!」「私はこんなに資格を取ったのに!!」「私はこんなに美しいのに!!」

まるで悲劇のヒロインです。
~だから。~のに。裏を返せば、常に「誰か」や「何か」のせい。だから、常に他人を変えようとして、自分を変えないからいつまでたっても状況が変わらないんです。口を酸っぱくして言ってますが、他人は変えられません。

生きる価値

私には、自分の生存価値について深く悩んだ過去があります。そして行きついた先は、自分の生きる価値は自分で決める(生み出す)しかないということです。

このメッセージを送ってきた方は、学歴とか、美貌とか、教養とか、で自分の価値を測って生きているのだと思います。私のブログは、そういう事について書いているブログなので、そこにこのようなメッセージを送ってくるということ自体、かなり場違いなのですが、私は事実を書いているだけで、ここまで言われるとはね~。そういう人もいるんだなと、なんだか悲しい気持ちになりますね。

人は、自分にあるものしか出せない

文頭にも書いた通り、他人に感じることは、自分の内面です。

人間の脳というのは自分を映して人を見ます。彼女は「誰からも愛されない生きる価値もない人間」という言葉を使っていました。つまり彼女は「私は誰からも愛されていない生きる価値がない人間なんだ。」と思っている可能性が非常に高いです。
この一文には二つのキーワードが隠されています。一つ目は、「私は誰からも愛されていない」という前提ともう一つは、「私は他人から愛されていなければ生きる価値がない」という方程式です。

ひとつづつ見ていきましょう。

私は誰からも愛されていない

この概念に囚われると、非常に自分が辛いです。だけど、今の時代は多いかもしれません。

さて、ここで質問です。
まず、この世に本当に誰からも愛されていない人間がいると思いますか。いたとしたら、それは何がそうさせているのでしょうか。

この質問、じっくり考えてみてください。
私のブログにこの問いかけの答えがあります。
人より勝れば愛される?可哀相な自分になれば、愛される?苦しめば、何かいいものが手に入る?そんなことしなくたって、本当は大丈夫なんだよ♪

「~でなければ」価値がない

この方程式も、自分を生きにくくする方程式「~だから。」と同様のものですが、実はもっと酷いです;「~でなければ」は打消しの条件を表すからです。彼女は、常に自分に条件をかけてしまう癖があるということです。
今回の例『私は愛され なければ 価値がないんだ』ですが、この「愛されること」と「価値がある・なし」は、一体どこをどう結び付けたらそうなるんでしょうか。
つまり、愛されることで「自分に価値がある」と思っているのでしょうか。
愛されれば愛されるほど、「自分の価値が上がる」と思っているのでしょうか。

確かにモノであれば、人が欲しがれば欲しがるほど、値段が上がることもあります。でも、人間はモノですか?
これが、「命の重さ」という事です。これが、「かけがえのない」という意味です。
こんな簡単な事は小学校くらいで習っているはずです。しかし、人は忘れてしまうのです。当たり前のように命があるから。生きている事を「当たり前」だと思っているから。だから、人に酷いことを言えるんですよ。
特に「価値」という言葉の本当の意味を知っていますか?これ以上思考を深く掘り下げると長くなりますので、この辺で・・・

まとめ

22d

人間という生活体は、自分が満たされていると、他人を干渉したり、無駄に口出しをするといった、他人に自分の時間を割かないのです。
また、満たされていると、自然と美しい言葉を選びますが、心が荒んでいる時と言うのは、汚い言葉が並んでしまうものです。
美しい唇である為には、美しい言葉を使いなさい。美しい瞳である為には、他人の美点を探しなさい。
これは私の大好きな言葉です。全てはエネルギーの循環です。自分が出したものは返ってくるのです。