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コミュニケーション(対人関係) ( 10 )

最悪なコミュニケーション

インターネット上でのコミュニケーションが発達してきた今、
リアルでのコミュニケーションが苦手な人が増えてきています。
みなさん、こんにちは!心理カウンセラー岸田知佳です。
貴方は、コミュニケーション上手ですか?
今日の記事は、以前にも書いたことがある記事を、
少し成長した一年後の私からみた観点で、もう一度書き改めたものです。
私たちの悩みのほとんど、9割は、
対人関係にあると言われています。
私のカウンセリングにいらしてくださっている患者さんも、
最初は病気の話から入りますが、必ずといって良いほど、
何回か目で対人関係の相談を持ってきてくれます^^
私が対人関係療法を学んで出逢った言葉に、
「わたしたちは自分と折り合いをつけられる程度でしか
他人と折り合いをつけられない。」

という有名な言葉があります。
これはフランスの作家、ポール・ヴァレリーという方の言葉です。
これを、医学者・精神科医である「中井 久夫」教授はこう訳しています。

「人は他者と意思の伝達がはかれる限りにおいてしか、
自分自身とも通じ合うことができない。
それは他者と意思の伝達をはかる時と同じ手段でしか
自らとも通じ得ないということである」

来月から配信していくメルマガにも書きましたが、
私は閉鎖病棟に入院して気付いたことの一つに、
「自分と向き合うこと」「自分と付き合っていくこと」ということは、
「他人と向き合うこと」であり、「他人と上手に付き合っていくこと」
に繋がっているんだなぁ、ということでした。
人は鏡といいますように、
私たちは、他人に対する感情を分析することで、自分を知ることができます。
また、他人がいるから、私たちは自己認識ができるのです。
先日も、他人と比べるということに関しての記事を書きましたが、
決して比べること事態が悪いことではないのです。
比べて、
「そこに意味づけをしている」
ということを認識していないこと
そして、
「その意味づけをしているのが自分である」
という責任を背負っていないことが、
自分の首を絞めているのです。
さて、遅くなりました。
このままズルズル書くと本題に入れないので、無理やりですが…
今日のタイトル「最悪なコミュニケーション」!
一体どんなコミュニケーションだと思いますか?
答えをじらしても仕方ないので、正解を書いちゃいますが、
正解は「再交渉の放棄」です。
話し合いを放棄されるということです。
「沈黙」「行き詰まり」とも言います。
これがコミュニケーション学においては、
最悪なコミュニケーション段階だとされています。
まだ殴り合いだとか、喧嘩の方がマシ。
なぜなら、相手に「怒り」の感情を伝えているという点で、
まだコミュニケーションをとっているからです。
もちろん、こういった歪んだコミュニケーションは正さなければいけませんが、
コミュニケーションの放棄、すなわち「沈黙」「行き詰まり」よりは
まだ改善の余地があるのです。
言わない、伝えない、我慢する、飲みこむ・・・
これらは、お互いにとってマイナスでしかありません。
あなたの人生に、より良い人間関係を築いていきたいと思うなら、
自分の気持ちを真っ直ぐに、勇気を持って伝える事を心がけていきましょう!
しかし、コミュニケーションは自分ひとりで成り立つものではありません。
自分がどれだけ相手にコミュニケーションを取ろうと頑張っても、
相手にその気がなければ、残念ながらやはり、なす術がないのです。
他人は変えられませんからね。
ここで出てくるのが、記事の冒頭で書いた
「わたしたちは自分と折り合いをつけられる程度でしか、他人と折り合いをつけられない 」
です!
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つまり、

こうなったら「自分自身の中にある相手」との関係のあり方、

ポジショニングの問題ということです。

自分の中の感情を、上手に成仏させねば・・・ヽ(;´ω`)ノ

ってなわけで、次回は対人関係療法「悲哀のプロセス」をご紹介します。

実は上手な悲しみ方というのがあって、

それを間違えると心の病気になったりだとかしてしまうのです。

これを知っておけば、あなたも大切な人を失った時、

ネガティブな感情が来るのも怖くない?かもです。

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他人と比べるということ ( 7 )

あなたは何も欠けてはいない。

摂食障害が家族に残していったものの記事で、
「お金」と「幸せ」について書きましたが、勘違いしないくださいね。
お金を稼ぐことが悪いとか、
お金が人を不幸にするとか、
お金がない方が幸せだとか、
そんな事を書いたわけではない。ということです。
お金がないからって、不幸になる必要はないんだよ。
という話です。
こんにちは!心理カウンセラー岸田知佳です。
先日の飲み会での話。
ひょんなことから年収の話になりまして。。。
うまく説明出来ないので、簡単に手っ取り早く書くと、
職業や年収について、人と比べて卑屈になっている男性がいたんですね。
それで思ったのは、結局のところ、
お金がある、なし、はどっちでもいいのです。
ただ、「ない」にフォーカスして、卑屈になるくらいなら

(その人にとっては)あるほうがいいのだということ。
で、そんなことがあった翌日。
こんな質問をとある社長にしてみたんです。
「社長は、誰かと比較して卑屈になったりしますか?」
「比較しても仕方ないからねー。
だって、これが俺だし。
いいところがあったら、取り入れたり、尊敬はするけどね。」
これを聞いて思ったけど、つまり・・・
自分と他人を良い意味で区別しているということなんです。
違いを認めているということなんです。
どうしても、比べてしまうのは、
あの人と、自分が、そもそもが同じであると思っているから
ソコからプラスアルファで、「今の自分」が在ると思っているから。
どの人もね、そもそもが違うんです。
タンポポと桜を比べているようなものなので、
その人はその人の場所で、咲きたい季節に美しく咲くのが、
その人が一番美しく輝きを放つのでしょう。
それを見つける旅が人生なのだと思います。
今日の自分へ質問>>
今までの人生で、私が一番輝いていたときってどんな時だっただろう?
今日のカウンセリングでもお話をしたのですが、
人は、どんな人も欠けてはいないのです。
逆に言えば、どんな人も欠けているのです。
人は、何かトラブルがあった時、
すぐにどちらかの欠点を探してしまいがち。
「相手のここが悪いから・・・」
「私の出来が悪いから・・・」
さて、欠点
というのは、どうやって見つけているんですか?
答え:
誰かや何かと比較して、欠点を探すんです。
確かに、トラブルが起こるということは、
トラブルを乗り越えるプロセスが教養でも書きましたように、
自分に「知らない」
つまり、欠けている部分があるから起こります。
しかし、私たちはどんな人も全てを知ることなど不可能でしょう。
ゆえにこの名言。
人生の半分はトラブルで、残り半分はそれを乗り越えるためにある
私、これ聞いた時にピン!!ときました。
そういうことなんですねー
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2012年02月23日 比較ではなく適合

左のピースと、右のピースは、かみ合いません。
でも、どっちも欠けているわけではありませんよね。
どちらも、その姿が完璧な存在なのです。
そして、その凹凸が必要な場所が用意されているのです。
だから、人は助け合うし、支えあいます。
一人では生きていけないのです。
少なくとも私は一人では生きていけませんでした。
(18の時に一人で生きていこうと思ったけど、無理でした。挑戦済みであります!)
もし、「俺は今まで一人で生きてきた」という人がいるならば、
その人は支えられている事に気付いていないだけかもしれません。
そして、一人で生きていこうと傲慢になればなるほど、
人と比較をして、そのデッバリを削ったり、
凹んだ部分を何かで埋めなきゃ!と
自分でない誰かになろうと必死になる事。に時間を費やしてしまう...
そんな人生を送っていくことになるかもしれません。

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プロセス ( 5 )

トラブルを乗り越えるプロセスが教養

昨日、雨の中スーパーから帰っていたら、
4,5歳くらいの小さな子供が可愛い長靴を履いて、
水たまりに・・・
ばしゃん!!!
その子の洋服に泥水がかかっちゃって、泣いちゃいました。
あ~これこれ。こういう体験が大事なのよ~。
こんにちは!心理カウンセラー岸田知佳です。
誰だって、トラブルは出来ることなら避けたいものですが、
私の知り合いに、こんなことをいう社長さんがいらっしゃいました。
トラブルには自ら突っ込んで言った。なんでかっていうと、
何かを学びたいと思った時、
やっぱり、ただ単に学んだ時と、
トラブルがあって、必死に学んだ時とでは、
深さが違うと感じたから。
そもそも、トラブルっていうのは何故起きるのか。
それは「知らない事があるから」なんじゃないかと思うんです。
文頭の子供の例で書きますと、

「大きな水たまりがある」→「飛び込むと水が服にはねる」→「避けよう」

みたいに、知って入ればトラブルを回避する選択をすることができました。

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人は自分の知る許容範囲の中だけで生きていれば、
そうトラブルには巻き込まれないものです。
とはいえ、私たちは沢山の人との関わりの中で生きていますから、
自分だけが「知っていれば」トラブルに無縁なのかといいますと、
そうではありませんね。
他人からもたらされるトラブルもあるはずです。
しかし、それも「知って」いれば、対処法が身に付いていますので、
そう何日もトラブルに頭を抱えることもないでしょう。

教養とは、自分自身を知る事でもある

以前、とあるお客様の接待でお食事に行っていた時のこと。
そこで出てきた生牡蠣を見て、
「私は生牡蠣に3回もあたった事があるんです。だからもう食べるの怖くって。」
といって、残されていました。
ある意味、これも「教養」なわけですよね。
タイトルには、「乗り越えるプロセス」と書きましたが、
その手前の段階で、
トラブルになる可能性を回避する「選択が出来る」ことも
「教養」の賜物なのだと思います。
逆に、生牡蠣に当たった体験を経験しているからこそ、
当たった時の対処法を知っていて、
安心して召し上がられる方もいらっしゃると思います。
これを思うと、教養というのは、例え同じ教養がなされたとしても、
その人その人の価値観によって行動(=対処法)が変わってくる
ということも分かりますね。
そこで繋がったのが、金八先生の言葉。

事故が起こったときに自己を発見する。
トラブルが自我、自己を見つけさせる。

以前にも金を出せないなら知恵を出せ。金を使えないから気を遣え。の記事で
「人間というのは、ピンチに追いやられた時にこそ、本当の実力がわかる。」
と書きましたが、
事故(トラブル)が起こった時にこそ、今の自分の実力を発見することが出来ます。
そして、トラブルを乗り越える力(自分自身の対処法)を知るきっかけとなるのでしょう。