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相手への期待(コントロール) ( 6 ) 自分の人生に責任をもつ ( 5 )

人の期待は裏切っていい

記事:大丈夫。「良い子」をやめても、あなたはいい子だから
を、Facebookでシェアしてくださった方、本当にありがとうございました。
お蔭で、最高PV一万越え!!と、沢山の人に読んでいただけました。
書いたのは私ですが、想いを伝えてくださった方が、あの記事に命を吹き込んでくださったと、感謝しております。
本当に、いつもありがとうございます。
こんにちは。
心えがお代表 岸田知佳です。
引き続き、「信じる」という愛のカタチについてお話をします。
私が頻繁にいただく質問のひとつに、

「17歳で東京によく出してくれたね、親は何も言わなかったの?」

といった質問があります。

その時に親が何を言ったかどうかは忘れました。

でも、ただ一つ言えることは、あの時、
「自分の病気やけん、自分で絶対治してくる!」
という私(の言葉)を、親は信じてくれていました。
いいえ。『あの時』じゃなく、
あの時からずっと、今も。です。

過去の話

私は東京に着き、変わろうと決めた証として、すぐにピアスを開けた。
「優等生」をやっていて病気になったんだから、不良になったら治るんじゃないか?
そんな気がしていたのだ。

私は母にこう言った。
「ひとつ、絶対なお願いがある。私はこれから痛い目に合うかもしれない。最悪、私が死んだとしても、お母さんは悲しまないでほしいんよ。私は、幸せだったって、思ってほしい。「あの時に行かせなければ・・・」って、苦しまないでほしいんよ。そう思われることが、私は一番辛い。」

決して死にたいと思っていたわけではない。
むしろ、どこかワクワクしていた。
私にとっては冒険だった。

自分を変える冒険。

しかし、せっかく実家を離れたというのに、何をするにも「自分が愛し過ぎている家族」という存在が、私の邪魔をしてきた。
この時、「愛しているから殺す」の意味が理解できた。
事もあろうに、私は、「家族がいなければ、病気は治る」と、思っていたのだ。

※だからと言って、目に見える外的世界(三次元)にいる相手を本当に叩きのめす必要はない。無論、「ため息、睨む、暴力、脅す、殺す」というコミュニケーションは歪んだコミュニケーション(対人関係療法)である。

そして22歳の冬。

過干渉で、私を愛し過ぎた祖母が、天に召された。
私は実家に帰り、お葬式に出席。
そして、火葬場で祖母の肉体との別れの瞬間、
私は大声で泣いて叫んだ。

ごめんなさい!

ごめんなさい!

ごめんなさい!

自分でも訳が分からなかった。
何故、私は謝っているのか。
何を誤っているのか。
周りにいるお葬式に集まってくれた親戚も、さぞかし私が悪い事をしたと思ったろう。

母に聞いた。
「あの時、『ごめんなさい』って言ったんて、変だったよな。なんか、その言葉しか出んかった。」
でも、今ならわかる。
私は祖母の期待を裏切ったのだ。
私は、子供の頃から周りに期待されて育った。
とくに、祖母には。
「知佳ちゃんは、頭がいいなぁ」と褒められると、
頭がよくなくちゃいけない気がした。
裏切る事が怖くて、私は隠れて勉強をするようになった。
他にも、何かと褒められることが多かった。
褒められるごとに、私は鎖で縛られていくようだった。
これぞ本当の意味で褒め殺し。
長女として、「この家を継ぐから・・・」と期待をしていた。
小学校の頃から相続税の話を聞かされ、好きになる相手は次男じゃないとダメだと言い聞かせられていた。
お蔭で、今でも相手が次男かどうかをとりあえず聞く(笑)

期待を裏切れなかった。

その後、しばらく私は罪悪感で苦しんだ。

23になり、私は銀座でホステスとなった。

気まぐれで、気分屋のお客さんは、「明日行くよ~」なんて言っても、その日の気分で来なくなる。
「あと1時間で行くよ~」なんて言っても、店に来る途中に可愛い女の子に勧誘でもされればそっちへ行く。
人間の気分なんて瞬時に変わるモノなのだと、気付いた。
私はいい意味で人に期待をしなくなった。

するとどうだ。

裏切られることがなくなった

同伴ですっぽかされたとしても、自分の見る目が無かったのだと思うだけで、相手を責めなくなった。
期待をしていないから、傷つくこともない。

失敗をした。・・・次から気を付けよう。

というような学びにしかならなくなった。
お蔭で、人を責めるという無駄な時間を過ごす事が減り、人をよく見るようになった。

そう。。

「人が」「勝手に」期待をし、
思ったように動かない相手に対して、
勝手に」裏切られたと傷を負う。
それに気付き、
私にあった祖母への罪悪感は消えた。
私は、自分を生きただけ。
悪いことは、何一つしていないんだ。

真の「信じる」という行為には、「裏切り」は存在していない。

父も、母も、最初から私のことを信じてくれていた。
東京に出ると言った時も、
ダンサーになると言った時も、
銀座でホステスをすると言った時も、
私を止めなかった。
「知佳なら、どんな仕事をしても正当にやり抜くだろう」
と、言ってくれた。
私という人間そのものを信じてくれたから、今の私が出来上がっている。
16まで、自分(自我)が無かった私が、
約10年をかけて、
唯一無二の存在である「自分」が在る。
という状態になったのだ。
てなわけで、前回の記事で期待して読者登録してくださった方は、私に裏切られるので期待をしないようにしてください!笑
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大丈夫。「良い子」をやめても、あなたはいい子だから。

昨日のカウンセリングで、私は涙を流してしまいました。

泣いて、ハグしました。

患者と共に、涙を流すなんて・・・

カウンセラーとして未熟だと思われるかもしれませんが、

かつての自分のように苦しむ子を目の前にして、泣かずにいられませんでした。

こんにちは。
摂食障害カウンセラー 岸田知佳です。

母親は、

「良い子に育てないと・・・」

「自信を持たせないと・・・」

「この子の将来が不安で・・・」

そうやって、愛するがゆえ呪いをかけて育ててきた。

でもね、

授かった子供に悪い子がいると思いますか?

自信のない子がいると思いますか?

将来に不安をもって生まれてきますか?

子供は、夢と希望を持ってここに来るんです。

生まれてくる子供に、悪い子は誰一人としていません。

何の為に、授かった子供を信じないのですか?

何がアナタをそうさせていると思いますか?

その「不安」は、誰のものですか?

子供の将来が不安なんじゃない。

「お母さんが」不安なんです。

早く、子供を自由にしてあげてください。

子供をコントロールしようとするのをやめてください。

子供も、自分と同じ一人の人格をもつ人間であるという事を認めてください。

親の仕事は、子供が失敗しないように守る事じゃない。

子供が失敗をした時に、味方になって守ることです。

どんな過ちを犯したとしても、

世界中の誰もが否定しても、

「お母さんも、一緒に責任を背負うよ」

と、何があっても子供を信じることが親の愛です。

無償の愛を、知り、気付き、分かってください。

そして、

苦しんでいる子供ちゃんへ。

大好きな大好きなお母さん。

傷付けたくないよね。

お母さんを悪者にしたくないよね。

でもね、お母さんも一人の人間です。

神様ではなく、過ちを犯す人間なのです。

それに、気付いてください。

あなたは、お母さんが大好きだからこそ、

お母さんの嫌がる事をしてこなかったよね。

お母さんを困らせたくなかったから、頑張ってきたんだよね。

でもね、それは本当の愛じゃないと思うよ。

お母さんを本当に愛しているなら、信じてください

信じて、

自分がやりたい事をやりたいと言い、

自分が嫌なことは、嫌だと伝えてください。

その勇気を持ってください。

そして例え嫌われても、愛したければ愛せばいい。

もっともっと、大きな愛で、お母さんを包み込めばいいじゃない。

人を愛する権利を奪う事は、誰にも出来ないんだから。

心のままに、愛せばいい。

お母さんに限らず、お父さん、先生、恋人、友達…

あなたは、あなた以外の誰かに好かれるために、

あなた以外の誰かが望んだ姿になろうとしなくていい。

「良い子」をやめても、あなたは良い子です。

そして、

「優しい子」をやめたら、

本当の意味で「優しい子」になる。

嘘のいい子をしていると、病気になる。

嘘の優しさをしていると、心に毒が溜まる。

頭は嘘つきの天才ですが、

潜在意識だけは、嘘はつけません。

自分に嘘をつき続けた結果、

私たちは病気になったのです。

「私、幸せになっても良いんですか?・・・幸せになりたいのに、なぜかそう思うんです。」

私のところに来ている患者さんの8割が、この質問をどこかでしてきます。

なぜ、病気になった彼女たちが、こんな思考をしていると思いますか?

楽しい事をして、怒られた体験があるからです。

子供が楽しんでいる姿を見て、

『こんなに遊んでばかりいたら、ダメになるんじゃないか・・・』
『もっと、こうしないと・・・もっと、ああしないと・・・』

ダメになったら、ダメなんですか?

ダメな子は、愛せないですか?

そもそも、

ダメって誰の基準のダメですか?

アナタがダメだと思っても、そのダメさを愛する人が何処かにいると、どうして信じてあげないんですか?

すみません。

今日は感情のままに、厳しい事を書きましたが、耳に痛い言葉ほど、心で聞いてほしいです。

私は嫌われても良いです。

私の仕事は、患者さんを本当の意味で治す事です。

好かれることじゃないです。

他の事はテキトーでいい加減でも、

この姿勢だけは、貫き通します。