よく「愛されたい」「愛がほしい」と言う人いますが、そういう人に限って、人を愛していなかったりします。
実はかつての私がそうでした。
ずっと「愛が欲しい」と口癖のように言っていた時期がありまして、でも実際は愛されてない状態じゃなく愛されていたんです。
実はかつての私がそうでした。
ずっと「愛が欲しい」と口癖のように言っていた時期がありまして、でも実際は愛されてない状態じゃなく愛されていたんです。
ただ、その愛を受け取る事が出来ない自分でした。
そういった体験から・・・「私は愛されてない」と感じる人の中には、実は愛を受け入れる事が出来ない状態にあるというパターンが多いんんじゃないかと考えます。
つまり心が何らかの影響によって閉じちゃっているんです。
だから寂しくって、辛くって、ひとりぼっち。
そういう感覚に襲われて、きっとすごーく苦しい。
だから寂しくって、辛くって、ひとりぼっち。
そういう感覚に襲われて、きっとすごーく苦しい。
毎日、一秒一秒が辛い。
そして人を愛せない。
誰かを愛するパワーって強いんです。
誰かを愛した時、脳は活性化します。
元気になります。
生きるパワーの源になります。
愛されてないから満たされない?
それって本当?
本当は、愛してないから満たされないんじゃないの・・・?
それって本当?
本当は、愛してないから満たされないんじゃないの・・・?
もちろん、愛されることが悪いって言っているんじゃないですよ?
愛されることは絶対に必要です。
それは愛を知る事だから。
愛を知るから、愛を与えられる人間になるんです。
愛されることは絶対に必要です。
それは愛を知る事だから。
愛を知るから、愛を与えられる人間になるんです。
ただ、愛って難しい。
「愛」は「好き」ではありません。
もっと深いものだと私は考えているのです。
「愛」は「好き」ではありません。
もっと深いものだと私は考えているのです。
「好き」は一方通行になってしまって、はっきり言ってこの感情はむしろ愛には邪魔かもしれません。
「好き」とは本能や直観に近い部分だと思うのです。
だから子供の頃は「このおもちゃが好き」「このお菓子が好き」
とにかく「好き」が大きいです。
これが大人になって来ると理性がプラスされて「愛」となるのではないでしょうか?
「好き」とは本能や直観に近い部分だと思うのです。
だから子供の頃は「このおもちゃが好き」「このお菓子が好き」
とにかく「好き」が大きいです。
これが大人になって来ると理性がプラスされて「愛」となるのではないでしょうか?
なぜなら
愛って「思いやる」事
愛って「許す」事
愛って「諭す」事
全部これは大人になって色んな経験をし、知性あっての事。
愛にはぐっと堪える我慢、多少の忍耐力が必要だと思うのです。
そして何より母の愛は偉大です。
これは守ろうとする愛だから。
守ろうとする愛は偉大です。
これは守ろうとする愛だから。
守ろうとする愛は偉大です。
夫婦の愛も偉大です。
これは支え合う愛だから。
これは支え合う愛だから。
支え合おうとする愛は相乗効果でぐんぐんパワーUPします。
夫婦の仲が良いと、夫は出世するし、妻は美しくなります。
支え合う愛がキラキラと生きるパワーの根源になっているから。
愛のカタチってこうやって書いていても一杯出てきますね。
本当に様々な愛のカタチがあるんだなーって思います。
本当に様々な愛のカタチがあるんだなーって思います。
でも、これが出来るだけの心の余裕がなくては、本当の「愛」の存在に気付く事って難しいんですよね。
でも、そういうのって常に感じる事でもなくって、ふとした瞬間に感じる事が多いんです。
例えばトイレに座ってふっと気が抜けた時とか。笑
でも、そういうのって常に感じる事でもなくって、ふとした瞬間に感じる事が多いんです。
例えばトイレに座ってふっと気が抜けた時とか。笑
うーん。。。
だから私もまだ上手く言えないけど、自身の心に余裕がない時、
人からの愛を受け入れ、人へ愛を与える事なんて出来ないんじゃないかと思うんです。(今の私は。ですよ。汗)
だから「愛されたい」「愛が欲しい」と願う時はまず、
だから私もまだ上手く言えないけど、自身の心に余裕がない時、
人からの愛を受け入れ、人へ愛を与える事なんて出来ないんじゃないかと思うんです。(今の私は。ですよ。汗)
だから「愛されたい」「愛が欲しい」と願う時はまず、
愛を受け入れる体制
人を愛せる心の余裕が必要なんじゃないかなー。
そう思う、今日この頃です。