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二極一対・光と影・表裏一体

正義が悪を生み出した

昨日の記事を読んで、Facebookで以下のようなコメントをいただきました。

一つの出来事をどの向きから見るによって善悪らしきものが決められているような気がする今日です。パリの出来事、色んな面から見てみると悪役と判断してしまう相手の正義について考えてしまいました。

おそらく、私が最後に書いた、「悪役もいたほうがいい」って言葉に反応してくださったのだと思います。

こんにちは。岸田知佳です。今日の記事は、ややこしいので、こんがらがるかもしれません。
実は、今年に入って温めていた私の考えなのですが、またいつかブログで書こうとは思っていました。
ちょうど、そろそろ公開できそう?な感じなので書きます。
私の考えですが、手っ取り早く書くと、
悪を滅ぼさなきゃいけない理由がないってこと。
そして、私が「悪役」と呼ぶのは、「私が嫌いな人」の事です。
つまり、悪役の反対の「正義」も「答」ではないということです。
私たち人間は、殆どの人が
「正しい」ことが好きで、
「正しく」生きたくて、
「間違い」を恐れ、
「答」を知りたがる。
が、しかし、
そもそも、「答」なんてものは、
「死がある事」以外はあやふやなパーセンテージで成り立っています。
問題は、
「正義」を「答」と勘違いした人は、
「悪」を「不正解」だと勘違いをしている。

こと。
だからこそ、自らの「正義」を脅かす、「悪」を恐れて相手を消そうとする。
「悪」は、悪なりの正義で平和に生きてるんだから、ほっときゃいいのに。です。
私は、正義感こそ、戦争の始まりじゃないかって思うわけです。
蓋をあければ、これを両者がやってるんだからね。そうでしょ?

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かの有名な「桃太郎」ですが、芥川龍之介の描いた「桃太郎」を読んだことあるでしょうか。
正義だと語り継がれている桃太郎を、極悪非道な何ともブラックに描いた名作です。
内容は、多分グーグル先生に聞いてみたら「あらすじ」だけでも読めると思います。

一部抜粋すると・・・
犬はただ一噛みに鬼の若者を噛み殺した。雉も鋭い嘴に鬼の子供を突き殺した。猿も―猿は我々人間と親類同志の間がらだけに、鬼の娘を絞殺す前に、必ず凌辱を恣(ほしいまま)にした。”
鬼たちはおそるおそる、自分たちが人間に何か悪さをしたのかと尋ねる。すると桃太郎は、日本一の桃太郎が家来を召し抱えたため、何より鬼を征伐したいがために来たのだと答える。鬼たちは自分たちが征伐される理由がさっぱりわからないまま皆殺しにされてしまうのである。

この本を読んだ感想。
私の解釈で書きますが・・・
人間のエゴイズムが「正義」を作ったのだと思いました。

勝てば「正義」となり、負ければ「悪」とされる不条理な世。
勝つことを「正義」と思い込み、負けることは「悪」なのだと思い込まされた。
勝利に依存した人間たちは、結果だけにコミットし、目に見えた評価、点数、に踊らされた。
そして
自分が「正義」になるために、
「悪」をわざわざ生み出した
のだ。
つまり、悪を滅ぼしたところで、
正義だけの世になるのは一時で、
「正義」ってやつは、再び・・・
「正義」から「悪」を生み出すだろう。
と私は考えています。
以前、こんな事を言う男性と出逢いました。

「僕は、ある国へボランティアをしに行っているんだが、僕の行為は、無ければ無いなりに平和に暮らしている彼らの生活を壊しているんじゃないかって、悩んでいる。」

この人、凄いなと思いました。
心でも同じ問題が起きていると感じていたからです。

数年前からブームとなったポジティブ思考。
私は、カタチにだけ囚われたポジティブが、うつ病を増やしたと考えています。
なぜなら、ポジティブがネガティブを「悪」と見たからです。
ネガティブは、ネガティブなりに平和に生きていたのかもしれない。
そこへいきなりやってきたポジティブが、ネガティブを廃除しようとしてきた。
つまり、正義感が強い人ほど、

「悪」が許せない

だから、心の中で内部戦争が起こってしまったのです。

悪い部分を、消そうと必死になってる。
自分の「正義」を自分に押し付けてる。

追いやられたネガティブが、生きる場所を失ったのです。

「白」か「黒」か
「正義」か「悪」か
どちらかが「答」だと思ってるから、争いが起きる。
どちらか、ではない。
両者があって初めて「答」なんだと思う。
かりに「答」があるとすれば、
グレーの部分だろう。
つまりそれは、
「正義」と「悪」との間に、「答」が隠れているということです。
「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」だと言いますが、
「正義」の反対も・・・
「悪」じゃないのでしょう。