を、Facebookでシェアしてくださった方、本当にありがとうございました。
お蔭で、最高PV一万越え!!と、沢山の人に読んでいただけました。
書いたのは私ですが、想いを伝えてくださった方が、あの記事に命を吹き込んでくださったと、感謝しております。
本当に、いつもありがとうございます。
心えがお代表 岸田知佳です。
私が頻繁にいただく質問のひとつに、
「17歳で東京によく出してくれたね、親は何も言わなかったの?」
といった質問があります。
その時に親が何を言ったかどうかは忘れました。
でも、ただ一つ言えることは、あの時、
「自分の病気やけん、自分で絶対治してくる!」
という私(の言葉)を、親は信じてくれていました。
いいえ。『あの時』じゃなく、
あの時からずっと、今も。です。
過去の話
「優等生」をやっていて病気になったんだから、不良になったら治るんじゃないか?
そんな気がしていたのだ。
私は母にこう言った。
「ひとつ、絶対なお願いがある。私はこれから痛い目に合うかもしれない。最悪、私が死んだとしても、お母さんは悲しまないでほしいんよ。私は、幸せだったって、思ってほしい。「あの時に行かせなければ・・・」って、苦しまないでほしいんよ。そう思われることが、私は一番辛い。」
決して死にたいと思っていたわけではない。
むしろ、どこかワクワクしていた。
私にとっては冒険だった。
自分を変える冒険。
この時、「愛しているから殺す」の意味が理解できた。
事もあろうに、私は、「家族がいなければ、病気は治る」と、思っていたのだ。
※だからと言って、目に見える外的世界(三次元)にいる相手を本当に叩きのめす必要はない。無論、「ため息、睨む、暴力、脅す、殺す」というコミュニケーションは歪んだコミュニケーション(対人関係療法)である。
そして22歳の冬。
私は実家に帰り、お葬式に出席。
そして、火葬場で祖母の肉体との別れの瞬間、
私は大声で泣いて叫んだ。
ごめんなさい!
ごめんなさい!
ごめんなさい!
自分でも訳が分からなかった。
何故、私は謝っているのか。
何を誤っているのか。
周りにいるお葬式に集まってくれた親戚も、さぞかし私が悪い事をしたと思ったろう。
「あの時、『ごめんなさい』って言ったんて、変だったよな。なんか、その言葉しか出んかった。」
私は祖母の期待を裏切ったのだ。
とくに、祖母には。
「知佳ちゃんは、頭がいいなぁ」と褒められると、
頭がよくなくちゃいけない気がした。
裏切る事が怖くて、私は隠れて勉強をするようになった。
褒められるごとに、私は鎖で縛られていくようだった。
これぞ本当の意味で褒め殺し。
長女として、「この家を継ぐから・・・」と期待をしていた。
小学校の頃から相続税の話を聞かされ、好きになる相手は次男じゃないとダメだと言い聞かせられていた。
お蔭で、今でも相手が次男かどうかをとりあえず聞く(笑)
期待を裏切れなかった。
その後、しばらく私は罪悪感で苦しんだ。
23になり、私は銀座でホステスとなった。
「あと1時間で行くよ~」なんて言っても、店に来る途中に可愛い女の子に勧誘でもされればそっちへ行く。
人間の気分なんて瞬時に変わるモノなのだと、気付いた。
私はいい意味で人に期待をしなくなった。
するとどうだ。
裏切られることがなくなった。
期待をしていないから、傷つくこともない。
失敗をした。・・・次から気を付けよう。
というような学びにしかならなくなった。
お蔭で、人を責めるという無駄な時間を過ごす事が減り、人をよく見るようになった。
そう。。
思ったように動かない相手に対して、
「勝手に」裏切られたと傷を負う。
私にあった祖母への罪悪感は消えた。
私は、自分を生きただけ。
悪いことは、何一つしていないんだ。
真の「信じる」という行為には、「裏切り」は存在していない。
東京に出ると言った時も、
ダンサーになると言った時も、
銀座でホステスをすると言った時も、
私を止めなかった。
「知佳なら、どんな仕事をしても正当にやり抜くだろう」
と、言ってくれた。
16まで、自分(自我)が無かった私が、
約10年をかけて、
唯一無二の存在である「自分」が在る。
という状態になったのだ。